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更紗に恋して -手描きジャワ更紗Reisia・藤井礼子-

染織には人を魅了する不思議な力がある。
たった一枚の布や裂が“人生を変える”そんな出会いになることがあるのです。

今回ご紹介する藤井礼子さんも、そんな染織の不思議な力にみせられた一人。着物と関係のない、ごく普通の主婦だった藤井さんはジャワ更紗(バティック)に恋し、“昔ながらの職人と手仕事を守りたい”そんな一心で帯地の製作を手がけるようになりました。

0からのスタート。まして遠い異国、文化の違う中で、ものづくりの基礎を築かれるまでには様々な困難があった事でしょう。けれども藤井さんの言葉からは、何よりもジャワ更紗、そして職人たちに対する深い愛情と尊敬を感じます。

国や文化を超えて、今彼女が手がけるジャワ更紗は不思議な魅力を保っています。

手描きジャワ更紗との出会い

チャンティン(蝋付け)の様子

藤井礼子さんは学校を卒業後、4年間石油会社に勤務。その後1988年から2009年までの21年間、5カ国の海外生活。その中で、約11年間をインドネシアで過ごす事になります。

インドネシアに住み始めてしばらくして、手描きのジャワ更紗(バティック)と出会います。それはジャワ島北岸、プカロンガンという村で“花更紗の神様”と呼ばれる人が作っているものでした。

とても細いチャンティン(蝋付けの道具)で精巧に描かれた模様。藤井さんは息を飲んでその美しい模様に見入りました。まさに運命を変える出会い。ここから藤井さんとジャワ更紗の物語がはじまります。

手描きジャワ更紗Reisiaの誕生

手描きジャワ更紗Reisia

藤井さんが更紗と出会った頃、それは伝統的な手描きのジャワ更紗(バティック)にとって不遇の時代でした。

制作にすくなくとも3か月、長いものでは1年もの時間を必要とする伝統的なジャワ更紗。経済成長を背景とした近代化の流れの中、安価な印刷(プリント)の更紗におされ、工房の倒産や、腕の良い職人の流出が相次いでいました。

“このままでは、美しい更紗は作れなくなってしまう”

そんな危機感を感じた藤井さん。“日本の風土にあった更紗を作って紹介しよう。そうすれば、手描き更紗の職人さんたちの仕事を守れるはず”そんな思いから、自身でジャワ更紗を手掛ける(プロデュースする)決意をします。ジャワ更紗Reisia(レイシア)が生まれた瞬間でした。

ワルナ・フジイ

手描きジャワ更紗Reisia

ジャワ更紗(バティック)はインドネシアで現地の職人の手によって染められ、生まれる布地です。当然、インドネシアの職人が現地の日差し・風土の中で見て、美しいと感じる配色が用いられます。

けれどそれは日本人、そして日本で生まれたきもの地には、すこしミスマッチな感覚を覚えることもあります。

“日本的な色と柔らかさ”

私が藤井さんの更紗を初めて見たときに感じた、それまでのどのジャワ更紗とも違う印象。それはまさに、藤井さんがReisiaを始められた当初に思い描いた“日本の風土にあった更紗”そのもの。土地と文化の感覚の差を埋めるため、現地の言葉を覚え、粘り強く職人とのコミュニケーションを重ねてきた、藤井さんの熱意と時間の賜物でした。

「職人さん達との意思の疎通やイメージを共有する事は最初とてもエネルギーが必要でした。職人さんもとてもプライドが高いので、ケンカも沢山しましたよ。笑 けれど今では色の指定もスムーズになって、いつからか私が選ぶ色を“ワルナ・フジイ(藤井さんの色)”と呼んで理解してくれるようになりました。」

藤井さんがご自身で更紗を染めることはありません。けれども、彼女の更紗と職人を大切に思う気持ちと柔らかな人柄は 職人の手を通して、作品に自然とにじみ出てくるのです。

更紗が出来るまで

帯地としてのイメージを、藤井さんが下絵師に伝えることから始まるReisiaの物づくり。伝統的な手描きのジャワ更紗が出来上がるまでには、1本の帯地が4人の職人の手を経ていきます。

デザインを決める“下絵師”。デザインの中の細かな蝋付けをする“イセナン”
伏せ蝋をする“テンボッカン”。色を染める“ワルナ”

そしてそれぞれの工程で藤井さんが仕上がりを確認し、現地のスタッフに細かな指示を伝えていきます。日本の友禅で言えば、“悉皆屋”と呼ばれる方々の仕事と近いかもしれません。プロデューサーのような役割です。

「全ての工程が大切ですが、特に私が大切にしているのが“イセナン”です。彼女たちは下絵のアウトラインを見ただけで、その中にフリーハンドで模様を蝋付けしていきます。センスと技術がとても重要な工程です。
それから素敵な更紗の為には、それぞれの職人のレベルはもちろん、1つの更紗に携わる職人4名のレベルが等しくないとダメなんです。どこか1つでも職人の腕にばらつきがあると、仕上がりも思うようにいかないですし、職人同士の関係も悪くなります。バランスが大切です。」

手織りの生地に

手描きジャワ更紗Reisia

現在、日本で“ジャワ更紗の帯”として流通しているものの多くが、現地で広幅の生地に染められる更紗を、帯に仕立てた物が一般的。

「“はじめから帯としてデザインをして、それをこちらの絹の帯地(小幅)に染めたら、どんなに素敵だろう。”そんな思いは始めた頃からずっとあったのですが、なかなか思うような布を織ってくれる所が見つかりませんでした。
諦めかけていた時に、声をかけてくれたのが今も帯地を織ってくれている工房の奥さんでした。あの時は本当に嬉しかった。」

Reisiaの帯地には、現地で野蚕(自然に自生する蚕)などから手織りした風合いのある生地(小幅生地)が使われています。

文化の違い

藤井さんとReisiaの職人さんたち

「ある日、私がとても大切にしていた腕の良い職人さんから“違う工房へ移ります”と突然言われたんです。慌てて訳を聞くと“あっちの工房は、まかないに肉がでるから”って。笑 急いでケンタッキーフライドチキンを買いに行きました。インドネシアではケンタッキーは御馳走で、すごくよく効くんです。笑」

文化・習慣も日本とはまるで異なるインドネシア。当初は階級社会ならではの考え方に戸惑うことも多かったそうです。

「インドネシアでは私は“ボス”と呼ばれています。職人さんの身内がなくなると私に連絡が来て、棺のお金を支払ったり、またある時は、自転車を買ってあげたり。お金の無心はしょっちゅうです。笑 日本では馴染みのない習慣、でもそういうものも出来るだけ理解したいと思っています。職人さんの生活を含めてジャワ更紗なんだと思います。」

Reisiaと手描きジャワ更紗のこれから

手描きジャワ更紗Reisia

一時は不遇な時代を経た手描きジャワ更紗ですが、2009年にユネスコの世界無形文化遺産に指定された事をきっかけに、国内の雰囲気も随分変わってきたそうです。

「以前は“古臭い”と思われていた更紗のイメージが最近は大きく変りました。大統領が頻繁にバティックを着られるようになり、学校でもバティックを着る日が出来たり。あと芸能人が着ることで、若い方も更紗に触れる事が増えました。とても嬉しい事です。
私にとってReisiaを始めたときから変わらないのは”職人さんの仕事を守ること”。そしてこの美しい手仕事を少しでも多くの皆様にお伝え出来れば嬉しいです。」

一人の女性が、国や文化を超えて恋した手描きジャワ更紗。彼女の手がける更紗が、きっとまた誰かの胸にときめきを与えてくれるはずです。

文/高橋直希 写真/藤井礼子

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