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幻の染めを現代に伝える -辻ヶ花染め・佐々木宗一-

京都市内から車で約30分。愛宕山麗の南、嵯峨野の山間に佐々木宗一さんの工房はあります。辺りを緑で囲まれた静かな場所で奥様と2人、日々「辻ヶ花染め」と向き合っておられます。辻ヶ花染は室町時代から江戸初期にかけて流行した文様染です。一般的には絞り染めと墨描きによって文様を表し、最盛期には複雑な縫い締めや金箔、刺繍などを施した大変豪華な小袖や陣羽織なども数多く作られました。しかし友禅染めの発明により、その技法は急速に廃れていきます。急速度で技法が廃れたこと、名の由来が定説を持たないことから、「幻の染物」とも呼ばれています。

辻ヶ花染との出会い

工房にて

辻ヶ花染めと佐々木さんの出会いは1968年京都の博物館で見た古代裂でした。

「大学を卒業した後、実家の白生地問屋で働いていました。その時住んでいたマンションに、仲のいい友禅の下絵師が住んでいて、その人に誘われて、展覧会を見に行ったんです。その時に辻ヶ花染めの古代裂を見て「これを自分で作ってみたい」そう思ったのが始めたきっかけなんです。」

当時、すでに辻ヶ花染めを復元していた作家は何人かいました。しかし佐々木さんは弟子入りや修行はせず独学での習得を選びます。

「他の人たちが辻ヶ花染めをしていることはもちろん知っていました。でもね、僕の「作りたい」と思ったものは少し違ったんです。幸い実家が白生地屋で生地は売るほどあるし(笑)、同じマンションに下絵師の友人もいる。これなら自分でもなんとか出来ると思ったんです。今思うとなかなか無謀でしたね(笑)」

独立…そして柿渋との出会い

工房にて

当初は家業と並行して、制作を行っていましたが、やがて退職し独立。また当初は分業で行っていた加工も次第に自分1人で行うようになりました。

「その当時は呉服の業界が好調ですから、難しい、時間のかかる絞りの加工をお願いすると、絞り屋が『こんな手間のかかる仕事は出来ません』って断られるんです。それでだんだんと一人で作る様になりました。絵は独学で勉強しました。」

染めを初めて45年、さらに佐々木さんの作品に影響を与えたのが20年前に出会った「柿渋染」でした。それまでの柿渋染は引き染が一般的でしたが、佐々木さんは辻ヶ花染めに応用するため「たき染」に挑戦します。

「何度も何度も失敗しましたね。柿渋で染めると生地が固くなるんです。初めて成功した反物は優しいピンク色でした。うれしかったですね。」現在は佐々木さんの作品ほとんどに下染として柿渋が使われています。「僕は作品を作るとき、侘び、寂びそして艶、この3つを意識します。柿渋を使うと色に独特の深みを持った艶が出るんです。だから柿渋はかかせません。」

2003年にはその技術が認められ、文化庁・京都府の以来により桃山時代の小袖を再現されるなど活動の場を広げられています。

佐々木宗一(ささきむねかづ)略歴

見晴らしの良い工房のベランダにて

1944年 京都府与謝野町に白生地問屋の長男として生まれる。
1968年 博物館でみた古代裂に感銘を受け、染織の道へ。
1992年 「古代辻ヶ花染研究所」設立。同年、京都工芸展にて京都市長賞受賞。
2003年 文化庁・京都府の依頼により松井与八郎肖像画着用の「菊椿文様辻ヶ花染肩裾小袖」を復元

辻ヶ花染めが出来るまで

1 図案を考えます
 色々な資料を眺めながら、イメージを膨らませます。
2 下絵を描きます
 実寸大の用紙に下絵を描いていきます。出来上がった下絵を青花と呼ばれる染料で生地に写します。
3 糸入れをします
 生地に写した下絵に沿って、絞りを行うための糸を入れていきます。
4 生地を絞ります
 絞りの柄の中心に芯を入れ周りをビニールで包み糸でくくります。
5 生地を染めます
 絞り終えた生地を、釜で沸かした染料の中に付け染めます。その後染料を定着させる為の蒸しを行います。
6 墨書きをします
 染めあがった生地に墨書きをして仕上げます。