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三才山(みさやま)紬 -横山俊一郎-

信州、松本市から車で約30分。辺りを山に囲まれた静かな集落の中に、ご家族でみさやま紬を織られている、横山俊一郎さんの工房はあります。 「三才山」とはこの土地の地名です。つまり、この土地で織る紬だから「みさやま紬」なのです。しかし、それは結城紬や大島紬のように、産地として古くから受け継がれてきたものではなく、故横山英一氏がこの土地で紬を織り始めた事から始まります。

三才山紬とは

三才山紬は、民藝運動の父である柳宗悦氏に、横山さんの父である英一さんが出会うことから始まります。当時百姓(横山さん曰く、百姓とは百の事をこなせる姓)だったご両親は、柳氏の起した民藝運動、その志に強い感銘を受け、染織の道へと進みます。当時40歳、決して早いスタートではありませんでした。

「私が言うのも変ですが、まじめな両親でしたからね。最初から生半可な物を作るという気持ちではやっていなかったでしょう。志高く、染織に取り組んでいたはずです。」

横山さんの言葉通り、初めは友人に販売していた三才山紬でしたが、次第にその品質が評判となり、京都の問屋の扱いが始まります。しかし、決して安易な大量生産などはせず、自身の納得のいく物を作り続けてきた英一さん。そんな両親の背中をみて育った横山さんも染織の道へと進みます。

色にこだわる

横山さんの雑木林

今回、工房をお尋ねした私をまず最初に横山さんが案内して下さったのは、ご自宅の裏山でした。

「この山は、私にとって宝の山です。いくら自然と言っても、長い間手をかけないとその山は駄目になるんです。30年に一度は木を伐採したりね。だから、こういう雑木林は貴重なんです。」

この山から取れる、胡桃、玉葱、漆、栗、上溝桜などを用いて染めは行われます。

「染料として草木を扱う時、4つの事を意識します。発色が良い事。容易に出来るもの。継続して出来るもの。自然に負荷をかけないもの。 この4つを満たさない限り、染料としては扱いません。」

また精錬に使う灰もご自身で用意されるなど、草木の色に対する強いこだわりが感じられます。

織にこだわる

工房にて

そうして丁寧に染められた糸は、整経を経て、機にかけられます。主に経糸に生糸、緯糸に手紡糸を使い、高機でゆっくりと織り進められていきます。また今では大変珍しくなった竹筬(現在の主流はステンレス製)を用いるなど、織へのこだわりも。

「竹筬で織った反物は、柔らかく織上がります。説明するのは難しいけど、生地が固いとか柔らかいではなくて…なんて説明すればいいのか。表情が柔らかいんですよ。」

ごくごくわずかな糸や風合いの変化も決して見逃さない。そして可能な限りより良い物へ。そんな意識が無ければこんな言葉は決して生まれません。

「みさやまの命は、染料です。」

裂見本を見ながら、制作のお願い

そう横山さんが仰られる通り、その織と柄はあくまで控えめでシンプル。それが糸の持つ色を最大限に引き出してくれるのです。

地入れ、整理を終えて出来上がった反物はどれも本当にやさしい色。光によって表情をかえるその布は、まさにあの雑木林のように深く、柔らかい色をしています。

そして柳氏が唱えた「用の美」の通り、あくまで着物として、着る人にとっての心地良さを追求した、柔らかく捌きの良い風合いは、多くのきもの通に支持されています。

「少しずつだけど、もっと良い物を作りたいと思っていつも取り組んでいます」

その言葉通り、一つ一つ、丁寧に積み重ねられる横山さんの仕事。これからもきっと素晴らしいみさやま紬を作って下さると確信してやみません。